ある男、聖夜の逃避行と角煮、十二月。
街が浮足立つ季節だ。
本来、クリスマスといえば二十五日のたった一日のはずだが、前夜祭であるイブが幅を利かせ、イルミネーションに至っては十一月から早々に点灯を始めている。もし当日に雪でも降ろうものなら、「ホワイトクリスマス」などと呼び、世界はさらに甘ったるい空気に包まれることだろう。
ふと考える。そもそもクリスマスとは何だったか。 キリストの生誕を祝う日か、あるいはどこかの国の冬至祭が起源で、太陽の復活を祝う儀式だったか。諸説あるが、そんな神学的な定義は今の私にはどうでもいい。
私のカレンダーにおいて、十二月の重要事項はただ一つ。 「ホテルエイチツーの開業日、十二月二十二日」。 これに尽きる。
今年は開業六周年記念プラン、禁断の「10%OFF」シーズンだ。 前回は妻と二人、賑やかな旅だったが、今回は違う。この割引というささやかな、しかし確実な幸福を握りしめ、私は念願の「長崎一人旅」を実現させるのだ。お気に入りのホテルのホスピタリティを独占し、誰に気兼ねすることなく長崎の夜に沈む。これ以上の贅沢があるだろうか。
仕事を早めに切り上げ、逃げるように列車に飛び乗った。 長崎駅に降り立つと、光の洪水が私を出迎えた。クリスマスイルミネーションの煌めきは、皮肉にも一人旅の孤独を美しく彩ってくれる。

だが、今回の旅の真の目的は、この光景ではない。 私の胃袋が渇望しているのは、光ではなく、長崎の異文化が織りなす極上の融合だ。 「角煮」。
その調理法は、いささか手間がかかり、しかし食欲をそそる。厚い豚バラ肉をじっくりと時間をかけて煮込み、醤油や砂糖、酒などで味を深く染み込ませる。異国の香りが溶け込んだ、まさに長崎の卓袱料理を象徴する一品だ。未だ味わったことのない、老舗の極上の角煮。想像するだけで、喉が鳴る。
予約していた料亭の暖簾をくぐり、ついにその「現物」と対峙した。
「……なるほど」
皿の上に鎮座するのは、照り艶が食欲をそそる、手のひらほどの大きさの塊だ。甘く濃厚な香りが鼻腔をくすぐる。 私は意を決し、箸を伸ばした。
一口含んだ瞬間、脳内の景色が変わった。 箸で切れるほどトロトロで、クリーミーな舌触り。鼻に抜ける八角や生姜の異国情緒ある香り。これはただの煮物ではない。 「白飯に合う、長崎のパテだ」
熱燗を流し込む。角煮の甘みと豚の脂の旨みが、酒の辛みと完璧に調和し、五臓六腑に染み渡っていく。 一人静かに盃を傾けながら、私は前言を撤回した。
いや、違うぞ。 やはり今日はクリスマスだ。
静寂な一人の時間、極上の宿、そしてこの角煮との邂逅。 サンタクロースなど待たずとも、私はすでに、たくさんのクリスマスプレゼントを受け取っていたのだから。
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