軍艦島の歴史と見どころとは?
皆さんは長崎の世界遺産「軍艦島」を訪れたことはありますか?
実は最寄りの船着き場までは、ホテルエイチツー長崎から徒歩圏内の距離にあります。
今回は軍艦島の歴史と見どころをあわせて紹介します。
ぜひ長崎観光のご予定に入れてくださいね!
日本の最先端の暮らしが軍艦島に
炭鉱採掘で栄えた軍艦島は、1960年代には世界最大の人口密度を記録します。
5000人以上の人口はピンとこないかもしれませんが、換算すると、1つの教室に300人の生徒がいることになるんです。
狭い島内には、当時の憧れであった「三種の神器(テレビ・洗濯機・冷蔵庫)」がいち早く普及し、生活水準は本土を遥かに凌いでいたと言われています。
島内には学校、病院、映画館のような娯楽施設もありました。
唯一なかったものは「水」と「墓地」。給水船で運ばれる水は非常に貴重で、炭鉱夫は海水で体を洗ったそうです。
エネルギー革命と時代の移り変わり
戦後の日本をエネルギーで支えた軍艦島にも終わりが来ます。
エネルギーの主役が石炭から石油へ移ると、石炭の需要は急激に減少。1974年に閉山が決まると、3ヶ月の間に5000人の人々が島から離れたといいます。
軍艦島は徐々に衰退したのではなく、人々が突如姿を消し、時が止まってしまったのです。
今でも軍艦島のマンション内には、当時のテレビや生活用品が数多く残っています。
軍艦島クルーズではここを見よう。日本初のRCマンション
軍艦島クルーズでは実際に軍艦島へ上陸することができます。
注目すべきは、1916年に誕生した「30号棟」でしょう。上陸後に東通路を突き当たりまで行くと、目の前にその姿を表します。30号棟は日本初の鉄筋コンクリート(RC造)マンションであり、当時の建築技術の結晶でした。しかし、100年以上の歳月を経て、現在は辛うじて原型を留めています。日々形を変えていく軍艦島の姿を、ぜひ貴方の記憶にとどめてほしいと思います。

【30号棟】
荒波から人々を守った砦「31号棟」
周囲を海に囲まれた軍艦島は、頻繁に激しい台風の被害を受けました。その大波から人々を守る「第二の砦」としての役割を担ったのが、社宅の「31号棟」です。
この防潮棟は、波風に対応できる特殊な設計がなされました。海岸側のコンクリート壁は従来よりも分厚く堅牢にし、共用廊下を設けることで波風が打ち寄せても、廊下がクッションとなりました。窓はあえて縮小し、波風の衝撃は最小限にされました。
その活躍ぶりは凄まじく、今も見学すると、建物のてっぺんまで海水の塩で白く染まっているのがわかります。

【31号棟】
軍艦島への旅をお考えでしたら、館内に用意された各社クルーズのパンフレットを参考にされてください。
今しか見られない景色を長崎旅行のプランに入れてみてはいかがでしょうか。
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